北条得宗家即ち本家の人は非常に誠実に政治をしていたのである。ただ残念なことに短命な人が多かった。鎌倉御家人の為に心労が多かったのが原因ともいわれている。執権職は当主が幼少の為しばしば一族の長老が就任しているが、当主が成長すれば例外なく政権を返還している。
貞時までは元寇以来の財政問題等による危機を何とか乗り切ってきた。これが高時の代になると本人の素質もあって各所で不満が表面化してくるのである。これに後醍醐天皇がつけ込んだ。北条幕府が倒れるのである。
鎌倉幕府を倒した勢力は、1.北条家ににらまれて抑圧されていた足利氏をはじめとする有力大名。2.北条政権下で非合法な勢力拡張をした楠木氏のような「悪党」。3.領地の当主の地位を奪おうとした各領地の反主流派。などであり、彼らを巧みに操って纏めた方が後醍醐天皇であった。
後醍醐天皇は、体制の破壊には力を発揮したが、新体制の確立には極めて不向きな方であった。「後醍醐」を自負されたように平安中期の古いシステムを理想とされた。恩賞は公家社会に厚かった。また、情実政治をし、恩賞が不公平な点が多かった。このことは武士階級にとって我慢できない失政であった。倒幕に携わった武士達の多くは足利氏に期待するようになった。
北条氏の残党のほう起が内戦再開のきっかけとなった。後醍醐天皇の陣営に残った武士は、足利氏と対立関係にあった新田氏、悪党の身分から抜擢された楠木氏、名和氏、それに菊池氏位である。又、北畠氏はこの期に貴族から武士へ代わっている。
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