無荒史談42−逆臣の尊皇7−足利尊氏
2008-02-02


足利尊氏は古来逆賊の代表格として扱われていることが最も多い人物である。しかし、歴史を注視すると必ずしもそうでなく、皇室を大事にした面も少なくない。彼が朝敵となった背景に弟の直義が綸旨を偽造して反逆せざるを得ないと説得した話は太平記の有名な下りである。

彼は後醍醐天皇に対して敬愛の念を失っていない。当時の大勢に逆らえずやむなく天皇と対立した面も伺われる。後醍醐天皇の崩御の報に接し、菩提をお弔いする為に天暦寺を建立したのはその一つの表れである。

尊氏は、持明院系の天皇を擁立したのであるが天皇制に対してこれを疎略に扱った土岐頼遠や弟の直義、高師直・師泰の兄弟などは最終的に抹殺ししているのである。

尊氏が対立したのは後醍醐天皇の失政に対するものである。後醍醐天皇は太平記にもある様に名君にはほど遠い存在であった。「後醍醐」という諮号を望んだ様に時代錯誤があった君主である。本当に天皇親政を考えるのであれば、その捨て石となった天武天皇などを理想とするべきであったであろう。醍醐天皇は安定時の名君であり、乱世に通用する治世の担当者ではなかったのである。

楠木正成は、この点を承知していた。彼は後醍醐天皇に足利幕府の創立を進言しているのである。この提案が受け入れなかった後の湊川の合戦で彼は戦死したのである。

[歴史]

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